ノーラン・ライアンとダルビッシュ有 運命の絆 [ノーラン・ライアンについて]
◆ ノーラン・ライアン
フルネームは、リン・ノーラン・ライアン・ジュニア(Lynn Nolan Ryan, Jr. , 1947年1月31日生)。
※アメリカ人は、よくJr.をつけたり、ミドルネームがあって長い名前だったりする。
アメリカ・テキサス州レフュージオ出身。
現役時代は、特急(The Express)と呼ばれるほど
最速101マイル(約163km/h)の豪速球で名を馳せたピッチャー。
現在、ダルビッシュの所属するテキサス・レンジャーズ球団社長兼共同経営者(オーナー)。
※ノーラン・ライアンの出した101マイル(厳密には100.9マイル/162.4キロ)は、
ギネスブックにも載っている。現在、人類最速記録である。
※PHOTO BY User Wahkeenah on en.wikipedia
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◆実は、スピードガンのなかった時代に活躍した伝説的な黒人ピッチャー、
サッチェル・ペイジを除いてである(ニグロ・リーグ時代の英雄的ピッチャー)。
サッチェル・ペイジ(1906 - 1982没)
ノーラン・ライアンの球を受けたことのある捕手
(もちろんサッチェル・ペイジの球も受けている)の証言によると
110マイル(176キロ)は超えていたとの逸話がある。
にわかには信じがたいが、しっかり記録が残っているニグロ・リーグでの1934年、
サッチェル・ペイジは105試合に登板し、104勝を挙げていることからして真実味を帯びてくる。
ちなみにメジャーリーグの記録によると、サッチェル・ペイジがメジャーリーグに入ったのが
1948年シーズン途中、42歳の史上最高齢新人投手として。
クリーブランド・インディアンスに入団し、6勝(1敗、防御率2.48)を挙げている。
その17年後の1965年、
59際の時にカンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの契約を結び、メジャー最後の登板を果たしている。
(先発して3回を投げ無失点で勝敗はつかず)
しかも生年に異説があり、実際には60歳を超えていたのではないかとの説もある。
もちろんメジャーにおける「史上最高齢登板投手」だ。
最後に、サチェル・ペイジのニグロ・リーグ時代の記録として残っているのは、
約2,500試合に登板、2,000勝以上、完封勝利350以上、ノーヒットノーラン55試合となっている。
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ノーラン・ライアンの話に戻そう。
ノーラン・ライアンは、
1966年から1993年まで4チームに渡ってメジャーリーグでプレーした。
1966 - 1971:ニューヨーク・メッツ
1972 - 1979:カリフォルニア・エンゼルス
1980 - 1988:ヒューストン・アストロズ ※ここでメジャーリーグ初の100万ドルプレーヤーとなる(単年換算)。
1989 - 1993:テキサス・レンジャーズ。
このレンジャーズ時代の1991年、7度目のノーヒットノーランをやってのけている。
1993年レンジャーズを最後に、46歳で引退した。
ノーラン・ライアンは引退の年でも速球は94マイルを記録している。
メジャーリーグでの通算5,714奪三振は、前人未到の記録である。
引退15年後、61歳の2008年、
テキサス・レンジャーズの球団社長に就任。
2010年、投資グループの一員として球団を買収、共同経営者(オーナー)となり社長を兼任している。
ダルビッシュが、
こんなメジャーリーグきっての大投手・ノーラン・ライアンが
オーナーであるテキサス・レンジャーズの一員になったことは、
単なる偶然でもなんでもなく、まさに「縁」であると思う。
人には運命がある。
ダルビッシュが日本で投げてきたことも、メジャーリーグへ移ったことも
必然の出来事であり、彼が持っている運命をさらに書き換えていくための球団、
それがノーラン・ライアンの持つテキサス・レンジャーズであると、痛切に感じざるを得ないのである。
ノーラン・ライアンとダルビッシュ有 運命の絆
ダルビッシュ 登板予定 2012~メジャーリーグの道
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